タイトル 号数 発行日 内容
宇奈根通信 001 1986.9.16 ●京都から東京に移り住んで、もう3ケ月半になります。

 整体協会での仕事でいえば、見習い期間がおわり、実戦力として機能しは じめたところです。今年は、野口晴哉先生(整体法の創始者)が亡くなって10年、整体協会が社団法人になって30年ということで、記念行事が目白押しで す。えらく忙しい時期に入ってしまったなという感じもあるけれど、むしろ、僕にとっては、盛り上がった、いい時にやってきたと思います。

  総務半分、会員管理半分の割りで仕事をしています。総務というのは、何でも屋的にいろんな行事の裏方をやったり、資料の整理をする役割のようです。こっち の仕事の一つとして、新聞のスクラップをおおせつかり、時間を見つけては、新聞3紙(朝日、毎日、東京)を一週間、10日分まとめて読んでいます。新聞を 読む習慣から遠ざかっていた僕ですが、こうして、まとめ読みをしていると、いろんな事が視えてきます。主に、医療、保健関連の記事を切り抜いているのです が、臓器移植とか、最近では、産み分けのこととか、やたら、「技術としての医学」の記事が目立ちます。これ以外は、ほとんど、自分の好みに沿って、評論等 の切り抜きをしています。会員管理の方は、会費の振込用紙や会員証を発送するのが主な仕事。毎月、五・六千通くらいの数を一人で扱うので、骨の折れる仕事 ではあります。でも、2・3回やって、数に圧倒されることはなくなりました。むしろ、計算が立ちやすい仕事といえます。京都の時(FWC)に比べ、仕事量 が大幅に減った訳はないのに、気分的には随分楽です。働いている人の数も多く(15名)、 責任が適当に分散されているせいかもしれません。 休みは、 毎月9、10、19、29、30日。 月によっては、これに、5、15日が加わります。とにかく、一般と異なり、曜日は関係ないので、曜日感覚はなくなってしまいます。友達となかなかスケジュ −ルが合わないという、不便な事もあり、週末ほど混雑してない平日に、都心に行けるというメリットもあります。

 わざわざ、東京までサラ リ−マンだけをやりにきたつもりはありません。整体の勉強もしぶとく続けています。本部である講習会には出来るだけ参加しています。仕事をおろそかにする わけにもいきませんから、時には板挟みになることもあります。でも、今のところ、なんとか、やりくりしています。8月にあった育児講座や子供整体教室の合 宿のように、一石二鳥というケ−スもあり助かっています。もっとも、後で、機関誌に報告記事を書くことになったり、宿題がでるのが難点です。東京、神奈川 は、整体の層が厚く、みんな熱心に勉強しているので、大いに触発されます。8月には、活元コンサルタントの合宿もあり参加させてもらいました。参加者約 50名のうち、男性13名。整体の勉強をしている人のなかで、女性の占める割合が圧倒的に高い理由は、単に、暇がある、というだけでなく、女性の方が「生 活」に近いところにいるからなのでしょう。育児講座の裏方をしていてそう感じました。育児講座の内容は、今、整理しているので、そのうちご報告します。

  新しい職場、東京という都市環境、狭いアパ−ト(洋間6畳+ユニットバス+流し)に高い家賃...京都の時と比べれば、何から何まで違います。もう、外国 暮らしを始めたようなものです。適応していく過程を自分自身で観察していくと、実際、異文化に入って行くのと同じです。最初は、観察から。周りにいる人間 がどんな言葉を喋り、どんな価値観をもっているのか? グル−プ・ダイナミックスの中で各人はどんな役割を果たし、私自身には、どうふるまうことが期待さ れているのか...たいがい、初めは、無意識のうちに過剰適応反応が起こります。意識されない欲求不満が、食欲に化けたりする時期です。そうしているうち に、自己主張の欲求が頭を持ち上げてきます。自分のリズムで動かない限り仕事もはかどりません。適応力とは、周囲と自分の両方のリズムの調和のため工夫で きる能力のことをいうのでしょう。僕にとって、整体協会での、最初の一月は、日本社会をテ−マにした文化人類学的フィ−ルドワ−クをやってる気分でした。 10年前なら、反撥しかできなかったろう事柄を、自分の反応のしかたも含め、楽しみながら観察できました。「英語世界から敬語世界」への突入、とでも呼び ますか。

 東京といっても、僕の住んでいるアパ−トがある、世田谷区宇奈根というのは、多摩川に近い、半田園地帯です。高速道路(東名) が見え、周りに畑が結構残っていて、お店が少なく不便というところなど、京都で住んでいた竹田によく似ています。都会風でもなく、下町風でもなく、結局、 都会の中の田舎を選んでしまうところは、僕らしいといえるかもしれません。2キロ強の距離を自転車で通勤しています。川を越えて川崎に行けば、同じ家賃で もう少し広いアパ−トを借りられるらしいのですが、どうも、電車通勤というのは苦手です。贅沢だといわれますが仕方ありません。

 東京と いう大都市は人を不安にさせると同時に、確かに面白いところでもあります。大都市には共通した匂いがあるようです。土着の匂いではなく、「科学文明」、あ るいは、「近未来」・「均質性」の匂いかもしれません。地下鉄を待っている時、都心を車で走っている時、雑踏の中を歩いている時、ふと、自分が、どこにい るのか、わからなくなってしまう「一瞬」があります。東京なのか、ソウルなのか、それとも、ニュ−ヨ−クなのか... 同時に、街ごと違う顔のある、多様 性の世界も存在しています。いろんな種類の人間が、離れ合い、重なり合いながら、「棲み分け」をしている世界です。東京の人間が、東京以外を地方と呼ぶこ とに、すごく、抵抗がありました。でも、どうやら、この区分のしかたは、優越感の現われというより、東京を、多様性と完結性をもった一つの小宇宙と捉えて いる東京人の観念に起因するようです。心理的距離感というのは面白いですね。東京に住むと、東北が、ぐっと近くなり、逆に、九州を遠くに感じるようになり ます。別に出掛けて行く予定はないのにね。東北の存在が日常生活のレベルで感じられます。関西が基盤だった僕には、ちょっと、異質なものです。上野駅なん て、もう、異国のイメ−ジ。

 ワ−プロを買ってしまいました。遂にというか、ようやくというか。タイプに慣れているせいか、紙とペンよりも、こっちのほうが筆は進みます。独り言の寄 せ集めみたいな文でですが、読んでみてください。これが、最初で最後のもになるかもしれませんが。

宇奈根通信 001 1986.9.16

●書評:「東京に原発を!」

 by 広瀬隆   集英社文庫  440 円  

 東京に引っ越してきて以来原発の事が気になってしょうがない。理由はいくつかあるけれど、その一つは整体協会という「いのち」を追求しようしている組織 で働き始めたこと。この整体協会が主催する育児講座等で、これから、新しい命を育てていこうとしている母親のひたむきな姿勢や、そのまわりでいきいきと遊 んでいる子ども達の姿を見るにつけ、原発の「反生命」さが、より鮮明な形で僕の目に映るようになったこと。もう一つは、地震への恐怖感。京都にいたときに くらべ、地震は半日常的だし、「東京に原発を!」にあるように、一旦、大地震がおこれば、チェルノブイリ以上の大惨事が起こる可能性は高い。それに東京と いう大都市のひ弱さと原発の脆弱さが重なり合ってしまう。東京と東海村の距離は東海村の距離はチノルノブイリとキエフの距離とほぼ同じ120キロメ−トル しかない。チェルノブイリの事故は、結局「人的ミス」にすり替えられてしまった。人間は過ちを犯すからこそ人間である。この「東京に原発を!」は5年前、 JICC出版局から出たものに今年4月に起こったチェルノブイリ事故の検証等を付け加え大幅に改訂されたもにになっている。この中にある大事故のシナリオ (東海村で大事故が起き、その放射能が東京を襲うというもの)を読んで平気でいられる人がいるとすれば、その神経の鈍りかたはかなり重症だ。別に大事故が おきなくても、核廃棄物の問題をはじめ、私たちの置かれている状況は、すでに深刻だ。残された時間はあまりない。この、逃げ場のない恐怖感、焦燥感を実際 の行動に移すしか「生命」を守るてだてはない。「杞憂」という言葉は、空が落ちてこないかと心配で夜も眠れなかった男がいたという中国の故事に由来するそ うだ。でもすでに、その男を笑うような資格を1986年を生きている私達にはない。「1985年か86年に事故が起こる」と数学的に予言し、当ててしまっ た広瀬隆は、更に、もう一つ、恐ろしい予言をしている。「1990年に原子力の発電能力はゼロになる」と。人間の知恵によって原発は運転を停止するのか、 それとも....


宇奈根通信 001 1986.9.16 ●新聞記事から
チェルノブイリと苦よもぎ ヨハネ黙示録に登場の不吉な草 千種 堅
         1986年8月29日 毎日新聞 夕刊
宇奈根通信 001 1986.9.16 ●僕の恋が夏を越せない理由を体癖から考える−6種

 体癖論からいうと僕の体癖は6種になるらしい。つまり、呼吸器が弱いタイプ で、梅雨時に弱い特徴をもっている。湿気が多いとどんなタイプの人間でも皮膚呼吸が阻害され、その分、呼吸器(肺)に負担がかかるものだけど、もともと、 呼吸器の弱い6種は、この傾向がより強く現れてくる。具体的にどんな風に行動に現れてくるのかというと、まず、感情の抑制力が無くなり(子供は呼吸器が発 達していく過程で感情を抑える能力を獲得していく 5歳−8歳期)、「好き」「嫌い」のどちらかしかしかなくなってしまう。他人の状態などおもんばかる余 裕はなく、要するに、自分の思い込みで突っ走てしまう。ドン・キホ−テは6種だったに違いない。ロマンチスト、あるいは、現実感覚欠如人間。こう言われる と、思い当ることが結構あって、なるほどと頷かざる得ない。

 あることがきっかけで、これまでの体癖講座の講義テ−プをひと通り聴いてや ろうと発心し、時間をみつけては整体協会3階にある体癖資料室に潜り込んでいる。その手始めとして聴いたのが、6種のテ−プ。もう人間やめたくなってしま うくらい良いことは一つも出てこない。結婚詐欺師は大抵6種だとか、同性の友人を裏切ることが多いとか、そんなことばかり。一匹狼で(非社交的)、純粋な 美を追求し(非世俗的)、異性を追い求めるタイプでもあるという。どんな体をしているのが6種かというと、郷ひろみ、草刈正雄、松田聖子、三田佳子タイプ だという。声を思い浮かべても確かに呼吸器が弱そうだ。ジョン・レノンの声や詩も6種的。僕のまわりを見ると、所謂、精神世界がらみの人に、このタイプが 多い。もっとも、三浦和義も同じく6種だそうだ。なんでも、現代は6種が流行っているらしい。皆、呼吸器が弱っているのかしら?

 話を僕 に戻せば、どういう理由からか夏の初めに振られている。どうも梅雨時の湿気があやしい。梅雨時にロマンチスト・ナルシストぶりが、異常に高揚し、相手に呆 れられるか、それとも、梅雨が明け、皆が行動的になっているのに、僕のほうの肺はまだ疲労から回復できず、優柔不断な状態にとどまり相手を追いかけきれな い。こんな理由が重なり合って「破局」を迎えていたのではないか?かなりの説得力。

 体癖の話をきくと、人間の感受性の方向の違いに唖然 としてしまうし、生活の中で実感することもよくある。「花は紅柳は緑」というより、むしろ「人間社会=奇人・変人の集まり」に思えてくるほどだ。もっと も、整体のコンテキストの中で「体癖」が論じられる時、常に、人間の溌剌さと関連づけられている。この点を忘れてしまうと、逆に、自分を規定してしまう足 かせになりかねない。今の僕としては、「6種としての溌剌さ」を追求していけばよい、と開き直ることにする。
宇奈根通信 002 1986.10.1 ●夏期育児講座(講義ノ−ト抄)

   日時:第1部 8/1,2,4-8  第2部 8/17-23
   会場:国際文化会館 (東京港区六本木)
   講師:野口裕之 (整体協会講師)

−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 人は秩序をもって発達していく。

 今、育っているものを育てるのが親の役割−そのためには生きものの生きた姿を観察していく心構えが必要。

 器官が発達している時期はその器官を使うことでさらに発達していく。同時に、発達している箇所が歪み易い。
  −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−


第1部 発達の焦点と時期(機)

 生後13ケ月 (消化・排泄の機能が発達する時期)

    生後1ケ月: 睡眠時間が長く、授乳回数も多い
           (親が神経過敏だと睡眠時間は短くなる)
    生後2ケ月: 笑いはじめる
           動くものに興味を示しはじめる−目の発達/首の発達
    生後3ケ月: 手でものをつかみはじめる
           首がすわれば手が動く(3〜6ケ月)
    生後5ケ月: えんこできる
            えんこして倒れる側の股関節が弱い
    生後6ケ月: 因果性を追求しはじめる
           指の動き−脳/言語の発達
    生後7ケ月: 活動期
    生後9ケ月: 疲れを覚える
    生後10ケ月: 好奇心の持続

  赤ちゃんの育っていく過程を観察すれば、子供の発育が、内なる自発性にもいることがよくわかる。まず、欲求があり、その欲求を実現させようと体を使ってい くことで、それぞれの器官が発達していく。欲求の実現は快と感じ、欲求が満<たされなければ不快と感じる。例えば、赤ちゃんの尿意の観察をおこなえ ば、赤ちゃんは尿意を伝えようとしているのが判り、生後4ケ月でおむつはとれる。

 ○生存能力の基本である快、不快の感覚を育てる
 ○消化不良が命とりになりやすい
 ○栄養の充実が大切(内股の弾力で観察)−栄養素としての食物でなく愛情として
 ○授乳−生後7ケ月位迄 6ケ月位には、母乳と補食の比は1:1位
 ○栄養の吸収には、感情の安定が必要
 ○10ケ月までは腹に愉気
 ○親が慎むべきこと−楽しませない、遊ばせない、はしゃがさない−強要しない

誕生直後
 レモン水を一滴たらした水を与える
 腹部第5(右側肋骨のまがりかど)に愉気−宿便が出る
 腹部第5が弛んでから初乳をやる

 補食−味覚を広げる。 50日目位から始める。小さく生まれた場合(2600g以下)は30日位から。初めての食物を与える前には、果汁(瓜、サクランボ、びわはだめ)を与え る。

 脱腸 感情の抑圧 or 刺戟過剰

  打撲 生後13ケ月内の打撲は体全体に影響を及ぼす。体が軽くなっていれば(抱き上げた時、軽く感じられたなら)、腹(へそ下)と、それに対応する腰部を 合わせ愉気する。4日目(打撲した日を1と数え)にグタっとし、目がトロンとした時、ゆっくり休ませる−刺戟をあたえない・日光にあてない。

 *生後13ケ月の間に人間としての品(心の余裕)は形成される。そのためには、赤ちゃんの快感を守っていくことが大切


 生後13ケ月 〜 3歳 (運動器・触覚器が発達する時期)

 ○この時期になると、血液の循環がよくなり、食べる量は減ってくる。したがって、排尿・排便の回数も減る。体つきも緊ってくる
 ○自分の力で欲求を実現させることを快いと感じはじめる時期−集注力、執着力が伴ってくる
 ○自分の生活空間を拡げていく
 ○模倣の欲求−親よりも同世代の子供をまねる
 ○動き回る事で(筋肉を動かすことで)心臓機能のの未熟さをカバ−している。この時期に、行動を抑えると心臓を弱くする
 ○ことばの習得と運動器発達の時期は同じ−体験を通して言葉を教える
 ○子供が要求を言葉で表現するまで待つ (欲求の表現方法としての言葉)

 *発育がどこかでつかえた場合、段階を一つ戻ってやり直す。


 3歳 〜 5歳 (大脳発育の時期)

 ○抽象、連想する能力が育つ時期であり心と体の連結が密になる−同時に、心因性の病気をつくりだす事がある−頭に愉気
 ○体つきがかわる−顔が緊ってくる
 ○接続詞を使いはじめる−考えに筋道がでてくる
 ○連想力=勘
 ○恥−価値の基準がつくられる時期−親の価値観、目を伝える
 ○自分の欲求に形式というクッションをおく−ある約束ごとを通して行動する楽しみを教える


 5歳 〜 8歳  (呼吸器発達の時期)

 ○呼吸器の発達とともに、感情を抑制する事を覚える
 ○生活の中にハッとする瞬間をつくる
  ・人間関係を拡げていく−公の場における緊張(不安、怯え)
  ・冒険の欲求
  ・火遊び、万引の衝動が出やすい時期だが、代替、転換可能
 ○緊張の欲求か、弛緩の欲求かを観ていく
 ○この時期において過度の感情の抑圧は呼吸器の発達を歪める

 *集団生活を始めるのは、5才、つまり、呼吸器が発達しはじめる頃からが望ましい。集団にもまれるうちに呼吸器も発達していく。


 思春期 (生殖器発達の時期)

 ○他者(自分以外の欲求をもった人間)との出会い
 ○無力の自覚−努力しないで運、縁で得てしまったもの−性別 etc.
 ○一つのことに集注していく時期である。
  ・子供が集注しているものを取り上げない。
  ・思春期に集注したものが生涯を方向づける−それが生涯を賭るに価すりも
のなのか、子供に問いかける義務が親にはある
 ○反抗には2つのタイプがある
  陰:肩がすぼむ−内にこもる・軽蔑する
  陽:肩が張る−敵意をむきだしにする
 ○独立の願望−庇護の拒否と独立への不安・大人として認められたい

 胸腺の発育不全−男の無性欲症、女の妊娠拒否症の原因(胸腺は子供の時は固まっているが、思春期に入ると溶けてくる。思春期における精神的ショックに よって、この変化が止まってしまうことがある。(膝下内側の骨、鈍い音のするところに愉気する。)

 初潮後、卵巣に愉気していく。
                           (以下次号)
宇奈根通信 002 1986.10.1  未だ独身の身である僕にとって、育児は、それほど身近なものではありません。友人、知人の間には、子持ちも多くなり、たまに遊びに 行っては、よ き「おじさん」ぶりを発揮するくらいです。親をやるというのは大変ですね。傍で見ていて、ああやればいいのにとか感じる事はあるものの、いざ、自分が親に なった時、果<たして、自分の考えているように出来るかどうか全く自信はありません。(やってみたいとはちゃんと思ってますよ)

  この8月、整体協会主催の育児講座が2週間にわたり東京でありました。僕は、担当事務局職員として、連日、会場に通い、受付事務を済ませたあと、受講者と 一緒に講座を聴くことができました。ここに載せたのは、僕のとったノ−トからの抜粋です。講義は、非常に具体的で一見、育児の(how to)もののようですが、実際のところ、これを真似しようとしても「百害あって一利なし」ということになってしまうでしょう。整体を知っているから、整体 的に子育てができるとは思いませんし、逆に、整体を知らない人の方が整体的に育てているかもしれません。大切なのは、実際に子どもと、どう関わっているか ということです。表面的な知識は役には立たないでしょうし、ひょっとすると、害になることさえあるでしょう。ここでは、ひとつの人間観、育児観としての 「整体的育児」を読み取ってみてください。
宇奈根通信 002 1986.10.1 ●夏期育児講座報告記事  「月刊全生」 1986年10月号掲載
宇奈根通信 002 1986.10.1 ●国際感覚・歴史認識

 ついこのあいだ藤尾文部大臣が罷免されたと思ったら、今度は、藤尾文相を罷免した当の中曽根総理が、「黒 人やヒスパニック系人間がいるから、米国の文化水準は、単一民族である日本より低い」と発言し国際問題になっている。藤尾発言にしろ、中曽根発言にしろ、 政治家であったから問題になっただけで、日本人一般の国際感覚・歴史認識は、この程度にちがいない。

 日本人の国際感覚・歴史認識が、国 民を代表する政治家にみられる程度に低い理由のひとつに年号があると、僕は思っている。僕自身は、西暦でないと年数が数えられない人間である。生まれ年く らい昭和27年と覚えているが、それでも、1952年といったほうを自然に感じてしまう。年号を使う人間には、明治、大正、昭和、つまり、1868年以後 の歴史、しかも、日本しか視野に入ってないように思える。たかだか百年の視野である。使いなれている人間には、明治何年というと何年前なのかが、すぐ計算 できるらしいが、そんな人は、慶長とか、天明とかになっても、同じように計算できるのだろうか。実際には、昭和生まれが、人口の7割か8割を占めるように なったので、昭和の年数だけを考えにいれれば、役所の窓口で働くことでもない限り用は足りてしまうのかもしれない。

 外国にいってまで、 日本の年号を相手に押しつけている人をみると、もう、唖然としてしまう。それが、韓国であったりすると、もう、目もあてられない。横にいて冷汗ものであ る。ここで、あっさりと、歴史認識の欠落ぶりをを露呈してしまう。これが、戦前生まれの人間だけでなく、戦後生まれの人間のあいだにもみられるから、 参ってしまう。年間400万人を越える日本人が海外に出かけているにしては心細い限りである。

 国際感覚と歴史認識は、相対性理論の空間 と時間のように、本来、分けられないものである。歴史認識に裏付けられない国際感覚なんてのはありえない。両者に必要なのは、物事を複眼的に捉えること。 歴史でいえば、日本の歴史を世界の歴史の中で考えていくことだ。学校の歴史も、日本のものと、例えば、韓国で使われている教科書を併用すれば、もう少しま ともな歴史教育ができるのではないだろうか。そうなれば、「新編日本史」にも、使い道があろうというものだ。

 日本の国際化がいわれて久しいが、その実態は、「歴代の総理大臣よりは英語の喋れる」、現在の首相が象徴しているように、歴史認識の欠落している危なっ かしいものである。教育現場における歴史教育の流れをみると、国際化に逆行するものとしか思えない。

  歴史嫌いだった僕に歴史の面白さを教えてくれたのは、デビッド・ボゲットと司馬遼太郎の二人だ。ボゲットには、東南アジアの勉強をとおして、現存する国境 に囚われずに歴史を見る目を教えられたし、司馬遼太郎には、歴史上の人物を等身大の人間として見、また歴史のなかの常民の存在を知らされた。付け加えれ ば、陳舜臣の小説は、遠大な中国の歴史をかいま見せてくれた。時間と空間と人間の織り成す歴史の面白さは尽きない。
宇奈根通信 002 1986.10.1 ●山藤章二のブラック=アングルから
      週刊朝日  9月26日号 藤尾発言
      週刊朝日 10月10日号 中曽根発言

●東京探険 東南アジアの美味しんぼ 週刊朝日 10月3日号
宇奈根通信 002 1986.10.1 ●「人は不満があるから生きるのか?」  GSと整体の接点を考える 1

 以前、整体の講習の中で、「体に現れる不満(骨の歪み etc. )イコ−ル生きる欲求の現れである。死ぬ人間の体は整っている」という話がありました。その時は、不満があるからこそ生きるというのは、なんだか、生をネ ガティヴに捉えているように思へたし、また、ここでいう「不満」と、私達が日常的に使っている「不満」とが同じ意味なのかも曖昧でした。
 ところ が、この6月から、整体協会で働き始め、また、東京暮らしという新しい環境への適応を余儀なくされている中で、不満が一杯出てくるという体験をしました。 はじめは、他人に対してであったり、狭いアパ−トに対してであったり、どういう訳か、自分の外のものばかりに不満は向かっていました。そんな時、ふと、自 分の方を見てみると、肩は上がっているし、体全体は硬ばっているし、もう、不整体としかいいようのない体の状態になっているのです。確かに、体も不満を表 現している訳です。一旦、曖昧で捉えどころのなかった「不満」が、自分の体の問題としてみえるようになると、打つ手はいろいろでてきます。そして、体がほ ぐれてくるにつれ、工夫できる点も不思議に思い浮かぶようになりました。僕の「不満」が、適応にむかう過程での一つの段階における出来事であると気づいた 時、「不満=生きる欲求」というのも一つの言い方だなあと得心できたわけです。
 このプロセスをGS(一般意味論)的にみるとどうなるんでしょ う? 不満は抽象のレベルが、かなり高い言葉といえます。そのくせ、皆、不満は体験したことがあるせいか、不満=悪という風な連想 associationを、簡単に結んでしまいがちです。 不満1 ≠不満2 indexingであり,私の体験した不満(いつ・どこで・どんな)≠不満という言葉 reversed order of abstractingであるのに。僕の不満に対する最初の反応は、このように、意味論的混乱に満ちたものだったようです。一旦それを、体の変化に還元し たとき、抽象のレベルを区別 differentiate でき、この混乱から解き放たれたということなのですね。
 このように、物事を固定化し て考えてしまう癖 identification はいろんな場面で出てきます。 整体でよくいう、「病気」と「病人」の関係もそうです。ことばに囚われてしまう習性からは、なかなか自由になれません。整 体を勉強していても、整体という言葉に捕まってしまい、「整体=体が整った状態」という風に静的なもとしてだけ考えてしまうこともよくあります。実際は、 整体−不整体(?)の間を行ったり来たりする揺れ、あるいは、勢いを含んだものが整体なのですが。
 「ことば」と「できごと event 」の間を行き来するトレ−ニングは、常にやっておく必要があるようです。そんな意味でも、抽象のレベルの高い言葉を、より具体的に「いま」を表現している 自分の体の状況に戻して捉え直していく作業は有効な手掛りを与えてくれる方法だといえるでしょう。
 どうやら、「不満」も「病気」同様、積極的に受け入れ活用していくべきもののようです。
宇奈根通信 003 1986.10.20 ●異文化交流・恋愛・からだ

 国際教育と呼ばれているものに長い間関わってきた。最初は学生として、後にはプログラムをつくる側の人間として。

  国際教育の目的って一体なんだと問われれば、それは、人間は所詮人間だということに気づくことだと答える。更にいえば、人間が一人一人違うことに気づき自 分自身をもっと知ることだと。あまりにも当たり前のことである。このような自明のことを学ぶのにわざわざ外国に行く必要があるのかと問われれば、その必要 はないと答えよう。国際教育、異文化交流と呼ばれているものは、この自明さに気づくための一つの方便にすぎない。しかし、この当たり前さを見失っているの が今の私達ではないか。

 「外国」に行くと、まず目に入るのは「異い」だ。異なった言語、異なった習慣、異なった思考回路。同じ人間とは 思えないくらいだ。しかし、暫くすれば人間としての共通の基盤が視えてくる。生まれ、成長し、愛し、働き、年老い、死んでいく生活。「外国人」として一つ にくくっていたものが、段々、一人一人異なった顔を持つ人間として視えてくる。 「日本人は... 」、 「アメリカ人は...」、「韓国人は...」といった議論がいかに乱暴かということに目覚めてくる。人間としての共感のないところで「差異」を論じれば、 結果が「争い」になることは避けられまい。共感を欠く国際教育は偏狭な国粋主義者しか生みだしえない。国際教育は「あたりまえさ」への一つの方法にすぎな い。しかし、有効性の高いものであることは確かだ。

 恋愛は「異性」との出会いで始まる。国際教育的に考えれば、相手は「異文化人」であ る。同じ言葉をはなし、同じ文化の中で育ってきたにしても、やはり違いは避けようはない。「同じ言葉」がどれだけ違った意味あいで使われているかに慄然と する。相手との距離が近づけば近づくほど、その違いはますます明らかになってくる。性差や家庭環境の違いだけでは説明しきれない異い。人間はこんなにも一 人一人違うものなのか。

 かつて、からだは、頭に従属しているものだと思っていた。そう思っている人のほうが今でも大多数かもしれない。 ところが、そうではないらしい、ということが「活元運動」を体験してから分かった。僕にとっての「からだ」との出会いである。からだが勝手に動くなんて信 じられなかった。しかし、自分の体が動くという事実を否定する訳にはいかない。しかも、動いている自分のからだを 100パーセント自覚している自分もいる。自分って一体なんだろう。

 「仏法とは自己を習うことなり」といったのは道元。寄り道、まわり 道にみえることはしてきたけれど、僕のやってきたこと、そして、今現在やっていることも、結局、「自己を習うこと」にほかならない。異文化体験、他人との 交流、自分のからだとの対話...とどのつまり、外の世界を鏡として自分自身を見ていくことだと思う。そして、一番視えてこないのが、この自分なのだ。
宇奈根通信 003 1986.10.20 ●着るー背広、ネクタイ、革靴というのは、やっぱりユニフォ−ムですね。サラリ−マンとしての蓄積がまったくなかった僕は、着るもの に困りまし た。夏用の背広なんてないし、ネクタイにしても数本あるだけ。白のカッタ−シャツなんて、1枚だけというありさま。だから、ひととおり揃えるのにえらい出 費でした。その上、クリ−ニング代まで要ります。サラリ−マンも大変だ、と悟った次第。最初は、「お前に背広は似合わない」といわれましたし、自分の姿が 鏡にうつっていても自覚できないくらいでした。それでも、喜ぶべきか、悲しむべきか、このごろ、背広姿が段々板についてきたのは確かです。今度は、冬支度 に頭を悩ませることになりそう。

●食べる−初めは、外食ばっかりでした。昼夜とも、外で食べてました。でも、外食というのは、栄養が身に つく感じが全然ないし、経済的負担もきつくなります。仕事にまだ慣れてない頃は、空腹を満たすというより、気分転換のために食べていたようです。自炊する には狭い台所がネックです。狭いだけでなく、流し、収納スペ−ス、すべてが小さくできていて、使いにくいこと甚だしい。それでも、二口のガスコンロを買 い、心細いながら、自炊を始めました。まだテ−ブルもない時は、お皿を床の上に置いて食べる始末。インド風で悪くはなかったけど.... 東京に来て食物 に苦労するなんてことはありませんでした。確かに、色の濃い汁にはゾッとすることもありますが、蕎麦や寿司のように旨いものもたくさんあります。ベトナ ム、タイなど、東南アジア料理の店が多いのも、僕としては嬉しいかぎり。たまには郷愁さそうこんな店に出かけていってます。

●住むーどう して、このアパ−トの家賃が5万5千円なのだろう。6畳一間にユニットバス、流しがついているだけなのに。津山に住んでいる友達はこの家賃で門のあるお屋 敷に住んでいるというのに。土地の値段が高いからという理由はわかるけど、どうも感覚的に納得できない。それでも、この東京で家を買おうと思う人はいるよ うです。20年、30年ロ−ン、最近は、2世代ロ−ンなんてのもあるらしい。ご苦労様です。家賃のみならず、この東京では、金銭感覚が全般的にちょっと 狂っている気がしてしょうがありません。

●読むー最近、ちょっと活字中毒気味。仕事でやっている新聞記事の切り抜きの影響かな。「週刊朝日」に「朝日ジャ−ナル」、「世界」と雑誌を読む量が随分 ふえている。政治、社会への関心が高くなっているのは、閉鎖的職場にい
 る反動か。その分、心理学とか、宗教の本を読まなくなっている。最近、読んだのは、億万長者はハリウッドを殺す by 広瀬隆(講談社)、日本文化の深層を考える by 網野、塚本、坪井、宮田(日本エディタ−スク−ル出版部)。

● 学ぶー9月に入って、日本エディタ−スク−ルという出版学校に週2回通い始めた。出版技術と校正技術のクラスをとっている。整体協会からの派遣。僕は、量 からいえば読書家といえる部類の人間だと思うけれど、本がどんな風に造られているのかを学ぶのははじめてのこと。校正クラスの最初の時間に「文章を味わっ て読んではいけません。ただひたすら、一字一字を対応させて読んで下さい」と先生がいわれたとき、皆、どっと沸いたのだけれど、すぐ、事の重大さに気づ き、シ−ンとなってしまった。

●書くーこのワ−プロを買ってから、やたら書きまくっている。「宇奈根通信」も育児講座特集を入れてこれで 4号(別に何号とはうたってませんが)、なんと、2週間に一度の割りで発行していることになります。読者云々というより、僕自身の余剰エネルギ−発散行 為。それでも、反応があれば嬉しい。やみつきになりそうです。限定30部。

●旅するーフレンズの仕事を辞めたら、旅をしようと思ってい た。1月31日に仕事を終え、2月1日に沖縄行きの船にのった。船旅は呑気でいい。沖縄本島に4、5日いて、また船にのり、石垣、西表へ。西表には丸1週 間いて、滝に行き、海に行き、島の徒歩横断までしてしまった。そして、更に南に下り、台湾まで足をのばした。のんびりするには船がいい、と思った。全部 で、4週間の旅だった。よし、今年は、船に乗ろうと思った。神戸から上海へ、大阪から釜山へ..... 関西からは、船で外国に行ける。そんなことを、考 えているうちに、ばたばたと東京行が決まってしまった。無論、自分で選んだことで不満はない。でも、やっぱり、船の旅をしたい。

●観るー ホテルニュ−ハンプシャ− こんな映画がぼくの好みです。ある家族がホテル経営に乗りだし、その中で起こるいろんな出来事を冷たく突き放した視点で描いて いるんだけど、その実、すごく、暖かい目がその奥にある。こんな方が、べたべたした、ヒュ−マニズムを押しつけられるより僕は好き。飛行機事故や、心臓麻 痺といったかたちで、やたら人が死んだり、おならばっかりする犬が出てきたり、表現のしかたは、とても、上品とはいえない。でも、人間が生きていくなかで 経験する、一見悲劇に見えるものが、ほんとうは喜劇だったり、また、その逆もあったり、そんな、悲喜劇の表裏の関係をよく描いている映画になっていて楽し めた。

●歩くー上野、アメ横界隈というのは面白い。人の波に呼び込みの声、アメ横のにぎわいなんて、もう、東南アジアの市場とほとんど同 じ感覚。「やっぱり日本はアジアなんだ」と、妙な感心のしかたをしたりして....値段も安い。でも、鮭の切身一盛り(10切れ位はあった)千円がいくら 安いといっても買う訳にはいかない。外国でも、市場・バザ−ルが大好きで必ず足を運ぶ僕だけど、同じことを東京にきてもやってしまった。


宇奈根通信 003 1986.10.20 ●新聞記事から

 文化の変容 電子の見えざる手 - 快適な生活の裏に高度な管理
    1986年10月14日 朝日新聞 夕刊
宇奈根通信 004 1986.11.1  10月はよく動きました。関西に計3度。すべて仕事がらみ。いずれも、あわただしく友達とゆっくり会う時間も、ほとんどなかったも のの、なつか しい顔には結構沢山会えました。それに、京都の良さが今になって見えてきたりして....とにかく動き易い大きさの街ですね。関西に行くと、自分のペ−ス が僅か数ケ月の東京生活で知らず知らずのうちに速くなっているのに気づきます。でも、これまでのところ、僕自身は速いテンポは全然に苦になっていません。 むしろ、これまでの「弛み」のここちよさより、「緊張」の快さが判りかけてきた此頃です。

 ユズルさんと久しぶりに京都で会った。 GSのこと等、話がはずんだ。話していて、以前より、日本語で筋道を立てて話ができる自分を発見した。ところが、ユズルさんと別れる時、これまでなら、 「じゃあ」と手を振るところなのに、 思わずお辞儀をしてしまったのには、 自分でも驚いた。日本的body languageが身につくにつれ、 僕の日本語も上達してきたといえるのか.....複雑な気持ちだ。 (10/4/86)

 年号のことは前の号で少し書いた。困ったこ とに、整体協会では、この年号を使っている。 だから、 整体協会では、今年は、昭和61年であって、1986年ではない。僕の頭のなかでは、今、西暦と昭和がこんがらがって、妙な時間喪失感がうまれている。過 去も未来もなく、なんとなく不安定に浮かんでいる感じ。丁度、外国で、その国の言葉を勉強しはじめて暫くの間、新しい言葉を習得する速度より母国語を忘れ ていく速度の方が速く、一種の、言語の空白状態に陥ってしまうのに似た感じ。(10/X/86)

 段位認定試験を京都であった高等講習の 時、受験し自己嫌悪に陥っている。弐段位を受けたのだけれど、試験を受けて出来なかったことより、自分自身の整体に対する接し方の甘さが露呈してしまい、 嫌になってしまった。知識として知っていることと、経験として分かっていることを混ぜこぜにしていて、結局、なにも分かっていなかった、ということを完璧 に自覚させられてしまった。もうこうなると、初心に還ってやり直すしかありません。反省することばかりです。6種のロマンには終わらせない (10/31/86)

 留守番電話をつけようかどうか迷っている。留守番電話は嫌いだけれど、外界との没コミュニケ−ションにちょっ と危機感を感じている。このところ帰りが遅く、11時を回ることも珍しくない。この時間になると、こちらから電話できる人は限られてくるし、遠慮してか、 それとも、すでに、夢の中なのか、かけてくる人も少ない。僕の方は午前1時前に寝ることはまずなのだけれど。(11/06/86)
宇奈根通信 004 1986.11.1 ●新聞記事から

  社会時評 帰国子女問題と文部省の教育理念  なだいなだ
       1986年10月29日 東京新聞 夕刊
宇奈根通信 004 1986.11.1 ●夏期育児講座 (講義ノ−ト抄 その2)

第2部 子供の体質改革

 子供は親の持つ悪しき傾向(素質)を受け継いで生まれてくる。
 成長は、この悪しき素質を改革し、より丈夫になろうとする「自然のはたらき」のあらわれである。

打撲
 ○親に打撲の影響が残っていれば、その痕跡は、子供に遺伝する。
 ○打撲には、肉体的打撲(手術等を含む)だけでなく、精神的打撲(愛情の中断、自分自身の欲求の中断)もある。

 警戒すべき打撲部位 − 後頭部、指先、腹、尾骨

耳下腺炎を上手に経過すると、生殖器系(足首、膝、手首、骨盤、股関節)が充実し、男の子は男の子らしく、女の子は女の子らしくなる。8才までに耳下腺炎 を経過すると効 果が大きい。

 経過するまで3週間かかる。
  ・潜在期(約1ケ月)−急に腰がだるくなる。尿意の変化があらわれる。
  ・はれてくる時期
  ・休養期(平温以下)(上手に経過させるための急処−鼻、後頭部、4側、D11、L3 、膝、足首、手首)

麻疹(はしか)経過後、半年後に目が疲労しやすくなる−目が疲れないよう配慮する

喘 息は呼吸器の体操である。呼吸器が弱い体質の子供が、生後2才くらいまでのあいだに湿疹(呼吸器を改革しようとするはたらき)を出しきれないでいると、喘 息によって呼吸器の体質改革を図ろうとする。喘息を経過させるには、12才までかかる。6、8、12才が変化の急処。庇わない。興味を抑えない。

心 臓機能が完成するまで12年かかる。それまでは、筋肉運動の助けによって、血液の循環をスム−スにさせている。子供を無理にじっとさせようとすると心臓機 能を低下させてしまう。8才〜12才の時期における子供の運動は大切である。12才をすぎると、自然にじっとしていられるようになる。
宇奈根通信 005 1986.12.1 ●ある一日 (1986年11月20日)

 昨日18日はお休み。朝から洗濯に掃除と部屋の中の細々した「家事」をやってるうちに 時間はどんどん過ぎてゆき、結局出掛けたのは午後3時過ぎ。まず渋谷でズボンを買い求め、それから神田へ。三省堂(日本一大きい本屋だそうです)に初めて 足を踏み入れ、笑う住宅(石山修武、筑摩書房)という本を買い、その足で、岩波ホ−ルにインド映画、家と世界(サタジット・ライ監督)を見にいった。観客 の顔を眺めると、なんだか同類っぽい人達ばかりで、知った顔の一つや二つみつけられそうな気がしたけれど、残念ながら誰もいなかった。

  休みあけの今日は、遅出の日。12時くらいまでに入ればよいことになっている。普段より1時間ほど遅い11時過ぎにアパ−トを出る。いつものように自転車 通勤。途中、郵便局に寄り、香港と韓国の友人宛てに英訳された『風邪の効用』 COLDS AND THEIR BENEFITS を船便で送る。アジア地域だからクリスマス迄には充分届くだろう。協会に着いたのは11時45分。

 毎月20日は愉気法講座の日になって いて若(裕介)先生の個人指導はない。この講座に参加する時もあるのだが、今日は夕方からエディタ−スク−ルがあるので、講座の方は諦め仕事に専念することにす る。11月に入ってかかりきりなのが、指導者ごとの活動状況をまとめる仕事。ちゃんと印刷したものを各指導者に年内に配布する予定で、先日、アンケ−ト調 査した情報を印刷所に回せるよう整理している。なんとか、ここ一週間以内にまとめてしまわないと間に合いそうにない。情報として不十分、不確実なところは 指導者に電話して確かめる必要がある。最初は逐次コンピュ−タにデ−タを入れていこうとしたのだけれど、漢字を拾うのにえらく時間がかかりそうで、結局、 手書きでやることにした。

 10人分程やったところで斜め向かいの西野さんが「お昼にしようよ」と声をかけてくる。時計を見ると1時15 分。西野さんは、元銀行員。そのせいではないだろうけど、かなり几帳面な正確で、所謂、昼食時間が近づくと、隣の古川さんや僕に知らせてくれる。以前、胃を きったことがあるせいか食事には随分気を使っている。僕の場合、12時、1時になっても空腹感を感じない時も多いのだけれど、かといって食べている目の前 で仕事を続ける訳にもいかないので、この時間になると僕も外に食べに出かけたり、お腹の減ってない時は、3階の資料室に避難することにしている。お腹のほ うは中途半端なので、はて今日はどうしようかと、とりあえず隣の台所/休憩室に移動。今日は指導がお休みの鏡原さんが来て新聞などを読んでいる。鏡原さんとい うのは、40歳近い独身のコンサルタントで暇な時にはこうして本部にやってくる。冗談が多く、あまり指導者らしい指導者とは言えないが、他の人なら遠慮し て言わないことを、ズバッと教えてくれるので僕は一目置いている。テ−ブルの上には研修生の朝食の残りものらしいおにぎりと、おいなりさんがあったので鏡原 さんと一緒につまむ。おにぎりの旨さに感激。資料室の篠田さんの郷里から送ってきたお米で、それを研究生の田中君が握ったそうだ。これで昼食。

  2時、仕事再開。新聞の切り抜きの方をやることにする。要領がよくなって、スピ−ドも上がった。医療・保健・教育関係の記事を中心に切り抜いているのだけ れど、癌の話や臓器移植の記事がやたら多く、気が重くなる。エイズには文明論的に興味がある。アメリカのある癌研究所からの細菌漏洩説を東ドイツの学者が 発表したとの記事も最近読んだ。書評も面白い。17日の毎日朝刊に、インディアンは手で話す(渡辺義彦 編訳 径書房)という本の紹介があった。一度どん な内容なのか手にしてみたい本だ。こうして新聞記事を切り抜いていくだけの作業なのに、スクラップブックには僕の個性(偏り)というものは現れてくる。局 長には、フィリピン関係の記事を頼まれている。夏の間は数える程しかなかったこの方面の記事も、アキノ訪日で、このところ、また賑やかだ。5時、市ケ谷に あるエディタ−スク−ルに向けて出発。二子玉川から新玉川線、地下鉄半蔵門線、有楽町線を使って所要時間約50分。 このル−トで週2回通っている。 木曜日は「校正」のクラス。3ヵ月の学期も三分の二終わり、残すところあと4週。本を作るとはどんなことなのかが少しわかりかけてきた。授業は6時20分 から8時半までの2時間。先生は、筑摩書房からでた宮沢賢治全集の校正をやったTさん。校正という「縁の下の力持ち」的仕事一筋できた人らしく、何事にも 一家言ある、良い意味でもプロである。

 8時半にクラスが終わり、近くのラ−メン屋で夕食。今の生活パタ−ンは、どうしても外食する回数 が多くなってしまう。時にはマクドナルドに入ってしまったり、京都時代では考えられなかったような食生活をしている。外食産業は相変らず化学調味料をいっ ぱい使っているようだ。食後、異常に眠くなるのは、化学調味料に対する僕の体の防衛反応らしい。気のこもったものを食べたい!

 9時40 分、本部帰着。暫くして、「本部だより」のゲラ刷りをもって加藤さんがやってきた。加藤さんは、整体協会の印刷物をほぼ一手に引きうけている印刷会社の人で、 いつも夜遅く顔を出す。大体、整体協会自体、非常に夜型のどころがあって、夜中12時になっても明かりがこうこうとついている、なんてのも全然珍しくな い。むしろ、当たり前といったほうがいいくらい。若先生のご指導が10時を回ることもあり、その後で研究生の特訓という場合もあるから、これもやむ得な い。 事務局は、 6時台に退出する年長組(60代)と、 夜中まで居残る若年組(といっても30-40代)の二派に、はっきると分かれている。前者をマイホ−ム派、後者をワ−カホリック派とでも呼ぶことにする。 形の上では、僕は、前者から後者へどんどん近づいている。でも、仕事中心モ−レツ社員ではなく、「仕事/修行/社会」派とでも呼ぶべき欲張りな独立派を目 指している。日本型人間関係の中で独立派でいるには随分、エネルギ−が要る。「和して同さず」か。「本部だより」は毎月事務局がだしているコンサルタント むけの機関紙で、月々の予定や指導者の書いた文章を載せている。そもそも僕が東京に来るきっかけになった「求人広告」もこの本部だよりに載っていたので不 義理はできない。編集は、若年組の男3人がしており、僕も最近加わることになった。ゲラの校正をやり、指導者デ−タのまとめかたの相談をKさんとしている うちに夜半ちかくになってしまっ
た。

 12時、つまり真夜中。いつも遅くまでいる事務局の人達も帰ってしまった。それでも、研究 生、研修生はまだ練習中。この時間になってしまうと、もう何時帰っても同じ、という気分になってしまう。3階の資料室に上がり、数日前に聴き始めた体癖講 座のテ−プ、4種体癖の後半を聴くことにする。大体、一回の講義は3時間弱くらいの長さで、それがC-90のテ−プ2本両面に収まっている。なかなか、全 部通して1回で聴くというのはむずかしい。それでも、6種体癖、5種体癖と聴き進み、やっと4種に辿り着いた。「分化される前の漠とした感情に敏感な4 種」には親しみがもてる。でも、「自分の感情はわからないけれど、他人の感情には極めて敏感」というのを果たして共感能力があると呼んでいいのだろうか。

  一応、4種の講義を終わりまで聴き終えたのが1時。2階に降りていくと、ダン(裕之)先生が研究生の練習台になっている。億岐さんも練習中。とにかく活元運動だけは して帰ろうと、その横で運動を始める。一段落したところで億岐さんと組んで少し練習することにする。これを見たダン先生、「石川(研修生、伊豆大島出身)が一 生懸命練習を始めたと思ったら、三原山が噴火するし、これで角南まで練習をしだすと、富士山が暴れだすんじゃないの」と厳しいことをいう。実際のところ、 東京に来て半年になるのに、まだ、「練習」を生活の中にちゃんと組み込めてない。その結果が、この間の段位試験。呑気な僕もさすがに目が覚めた。億岐さんに は腹部操法の台になってもらった。腹部第5が対象。手順をほとんど忘れてしまっている。4側を使うので、足を広めに拡げたままで腰を落とすことになり、し んどいことこの上ない。それでも、左右を揃える感じが大分つかめてきた。この腹部第5の操法というのは、3年前、初段の試験を受けた時の実技だったのだけ れど、その時は格好を真似していただけで操法にはなっていなかったと、今になって思う。京都の高等講習のとき、ダン先生が言われた、「その操法ができるよ うになれねば、観察できない」というのは本当だ。型が決まらなければ、実際、その処の表情も読めない。

 練習を一通り終えて下に降りると 時間はなんと午前2時半。それでも、ダン先生はまだいらっしゃるし、研究生、研修生も起きている。研修生というのは、この春、コンサルタント試験を受けた なかで、いわば「仮免許」を許されたコンサルタントの卵。これから、毎月1週間、本部に泊まり込みでしごかれることになっている。これを半年の間続ける。 今回は計5名が研修を受けている。今回は初回ということで皆緊張している様子だ。まだまだ深夜の研修は続きそうだったが、このあたりで切り上げることにす る。

 自転車に乗って深夜の寒気の中をアパ−トに向かう。久しぶりに練習らしい練習をしたせいか気分は爽やか。冷気が快い。息はもう白い。ハンドルも冷たく片 手はポケットに入れっぱなし。手袋が要る季節になってしまった。

 アパ−トに着いたのは、ほとんど3時。型をやって骨盤が緊ったせいか頭が冴えて眠れない。ワ−プロに向かいこの文章を書き始める。
宇奈根通信 005 1986.12.1 新聞記事から

書評:インディアンは手で話す もう一つの言語空間 11/17/86 毎日朝刊


宇奈根通信 005 1986.12.1 ●友人短信

 樋田洋一さん 10月16日、女児誕生。佳代子ちゃんと命名。昨年11月に整体協会を卒業したあと、指導室開設、結婚、そして、子どもと、僅か一年の間 に、全部をやってのけてしまったのは立派。

濱名幸子さん、岩田賢二さんの二人がFWCを卒業した。二人とも僕がアドバイザ−をやった関係もあり、嬉しいかぎり。おめでとう。京都のFWCアジアセン タ−からこの知らせを受けた二日後、子連れの濱名さんと、ばったり阿佐ケ谷で出会ったのには仰天。

------------------------------------------------------------------------
11月も終わり、今年もあと一月を残すだけになりました。東京で暮らし始めてもう半年、1年前の今頃、京都でアメリカ人学生相手に仕事をしていたというの が、遥か昔の事のように思えます。でも、多忙感と充実感を混同していないかどうか、自問する必要がありそうです。

光陰虚しく度ることなかれ

 寒くなりました。まだ冬支度のできてないこの部屋は冷えます。次のお休みには、電気カ−ペットを買いに行くつもりです。灯油も手にいれないと。東京の冬 は、京都ほど底冷えしないかわり、風はきつく厳しそうですね。

宇奈根通信 005 1986.12.1 ●最近読んだ本買った本

 世紀末通りの人びと 立松和平 毎日新聞社 1、500円
 仏教伝来と古代日本 田村円澄 講談社学術文庫 780円
 原発への警鐘 内橋克人 講談社新書 480円
 全アジア麺類大全 森枝卓士 旺文社文庫  580円
 笑う住宅 石山修武 筑摩書房  1、300円
 日本語の悲劇 朴炳植 情報センタ−  1、000円
 東京B級グルメ 文芸春秋編 文春文庫    480円
宇奈根通信 005 1986.12.1 ●1986年

1月 FWCアジアセンタ−退職
2月 沖縄本島、西表島、台湾へ旅行
3月 FWC残務整理
4月 本部だより(整体指導者のための機関紙)に求人広告が載っているのを鬼塚先生を通し知る。
5月 東京へ面接に。6月から整体協会で働くことになる。荷造り開始。
   韓国へ小旅行−西光寺の田中真海和尚らとともに、白雲山上蓮台、海印寺を 訪れる。
6月 東京生活開始。アパ−トは、整体協会から約3キロ離れている世田谷区宇奈根。
8月 夏期育児講座(国際文化会館) 活元コンサルタント合宿(奥多摩・御岳)
   子供整体教室合宿(箱根) ワ−プロ購入。
9月 UNANE TSUUSHIN 発刊。
10月 関西出張3回。
11月 体育学会参加。於、筑波大学
12月  ?????
宇奈根通信 006 1986.12.13 ●新年を期し活元会を始めます

日時  1987年1月13日(火曜日) 午後 7時〜9時
会場  渋谷区立新橋区民会館   444-0461
    (山手線、地下鉄日比谷線恵比寿駅より徒歩10分)
会費  500円


  活元会を始めます。活元運動を既に知っている人も、これから始めようという人も一緒にやりましょう。僕が活元運動を知ってもう10年近くになります。で も、いまだに活元運動が何なのかよくわかりません。体を「整える」ことが目的といえなくはありませんが、むしろ「整う」のは結果にすぎず、やる度に新しい 発見(自分自身の体のこと、人間の関係性、etc.)があって楽しいから続いているような気がします。基本は一人でやる活元運動ですが、なんといっても面 白いのは組んでやる相互運動です。「気の交流としての暮らし」が段々実感されてきます。
1. 参加できそうな人は、あらかじめ連絡いただければ助かります。今回は無理でも、次回は参加しようと思ってる人も連絡下さい。
2. 2月以降は、毎月5日を考えているのですが、どうですか? それとも、曜日でスケジュ−ルを決めたほうが参加しやすいですか?
3. 会場となる新橋区民会館は、本来、運動・体操には使えないそうで、今回はテスト・ケ−スの扱いになっています。従って、2月以降もここを借りられるかどう かは、1月13日の活元会を会館の職員が見て判断することになります。
4. ここ以外で借りられそうな場所かあればお知らせ下さい。希望としては、
  (a) 渋谷周辺、あるいは二子玉川から40分以内で行けるところ
  (b) 和室8畳以上の広さがあり、運動してもさしつかえないこと
  (c) 平日の夜間使えること>