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「はり」を稽古する


 講演の依頼があった時、さてなにをやろうかと考えた。対象は子育て中のお母さん、それに保育士を目指している学生たち、らしい。つまり、子供という「いきもの」を相手にしている人たち。


 与えられたテーマは「和の動きと所作」。私の所属する身体教育研究所のテーマのひとつが「古来日本人はどのように自分たちの身体を扱ってきたか」である ことは間違いのないところであるから、その線に沿って講話・稽古を組み立てることは可能であろう。ただ、日本人の動き云々ということ以前に、殊に子供を相 手にする人たちにとって大切なことは、「人はどのように人と接しうるのか」、ということではなかろうか。身体教育研究所がなにをやっているかを一言でいう とすれば「同調の追究」である。それを身体というものを通して研究している。人と接するとは、いかに他者と同調できるかということでもある。

 ところが、いまの私たちの現状はというと、同調以前の問題としてからだ身体というものを置き去りにしてしまっている。これは、講話の中でも少し触れた が、明治維新によって西欧の身体観というものが導入されることで、それ以前の身体の使い方が忘れられ、また高度成長期における利便性追求の結果、身体を使 わなくてもすむ生活が実現されてしまった。体の使い方を忘れるとは、つまり、体の動きのもととなる感覚を忘れたということである。私たちがいうところの 「動きと所作」を学ぶとは、その動きの元になった感覚を学ぶことを指すわけである。この学びのプロセスのことを私たちは「稽古」と呼んでいる。

 とはいえ、数多くある私たちの稽古を一般の人たちにどのようなかたちで呈示することができるであろうか。時間的制約もあるし、道具を使うにしても人数分用意するとなれば種類も限られる。そこで私が選択したのは「紐」を使った「はり」の稽古である。

 「はり」という言葉を知らない人はいないだろう。漢字で書けば「張り」ということになる。「張り合う」「張り切る」「張りのある人生」といった具合に日 常的によく使われる言葉でもある。それでは、紐を「はる」と「ひっぱる」の違いがどこにあるのかと問われると正確に答えられる人はそういない、というか大 半の人は考えたこともないだろう。今回の稽古はこのように始まった。

 二人の人に紐を持ってもらい紐を張ってもらう。片方が「引っ張れば」、もう片方には「引っ張られる」という感覚が生まれる。お互いに「引っぱりあおう」 とすれば、そこに出現するのは「強者ー弱者」の力関係である。「加害者ー被害者」関係といってもよい。つまり両者の間に共有された感覚はない。一方、「は る」ムより正確にいうと「はり」は「引っ張る」と「引っ張られる」のあわい間に出現する感覚であり、これは共有されうる。両者にこの「はり」という感覚が 共有されたとき「同調」というものが発生する。つまり「加害者・被害者」「刺激者・反応者」という一方向性の関係が消える。

 座った状態でこの「はり」の感覚を体験することは比較的易しい。ところが、動きの中で「はり」を保とうとすると、いきなり難易度が増す。座った状態から 立ってもらう。立った状態から座ってもらう。たいがい、紐を引っ張りはじめる。つまり、紐によ倚りかかりはじめる。相手に倚りかかりはじめる。はりを保ち ながら動こうとすれば、そこに合理的な体の処し方ーこれを私たちは動法と(どうほう)呼んでいるーが求められることが理解される。

 「はり」はどのように保ちうるのか。多くの人は、紐を持っている手で微調整することを考える。はてそうであろうか。手とは、つまり自分の体の末端であ る。では、最初に「はり」をつくるとき、手先ではなく、肘で引いてみるとどうであろう。二の腕で引いてみるとどうであろう。手先よりも、より根元に近いと ころで「はり」をつくろうとしてみる。「はり」の質が変わる。手で引いたとき、相手は手が引かれたと感じる。肘で引いてみる。相手は背中から引かれたと感 じる。二の腕で引いてみる。相手は体まるごと引かれたように感じる。どっちが丁寧に扱われていると感じるかといえば、いうまでもなく根元に近い方を動かし た時の方が、相手は「生きもの」として扱われていると感じる。生きものと接することを職業とするのであれば、これは教養として身につけておくべきもので しょう。

 稽古をさらに先に進める。目隠しでやってみよう。なぜ目隠しなのか。一度、視覚を封じてみないと身体のなかにある感覚がわからないからである。末端では なく根元を動かすといったとき、その根元は腕のつけ根からさらに胴体の中に求められるはずであり、古来日本人が「ハラ・コシ」を重視したのは、それが動き の、感覚の根元だと考えられていたからに他ならない。実際目隠しでやってみると「小手先」の動きが消え、私たちが動法と呼んでいるところの動きに近づいて くる。そして最後は正座。正座というと、ひたすらつらい体験ということになるが、理にかなった動きによって成立した正座には心地よさというものがある。

 このように進行していった稽古であったが、時間も限られており、私が企図していた事柄が伝わったかどうか心許ない。稽古を振り返り、こうして実習の内容 を再録することで、私の言わんとしたことが補完されるのであればありがたい。「他者と感覚が共有されたとき同調が生まれる」「体を根元から使って相手に接 したとき、相手は尊厳を持って触れられたと感じる」「私たちが習ってきた見方と異なった体の捉え方=身体観というものがある」。このようなことをつまりは 伝えたかったということです。

2009.8.20 西山短期大学での公開講座まとめ(2010.1)

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白山稽古会だより
2010/9/25

第一回目の白 山稽古会が開催されたのが昨年10月のことですから、この稽古が始まってほぼ一年が経過したことになります。固定のメンバーも十人近くになり、会としての 継続性はとりあえず確保できたかなと思っています。ただ、ここまでの稽古は、おもちゃ箱から「これもあります、あれもあります」と、遊び道具を取り出して お見せしてきた段階で、身体教育研究所が標榜する「内観的身体技法」はまだかすった程度であるといえるでしょう。稽古はここからじょじょに本題に入って行 きます。

当 面、坐法、臥法を一通りできるように稽古していきましょう。この稽古は皆さんが思っているより、ずっと奥が深く、私など20年間やり続けていますが、いま だ新しい発見があります。8月末、横浜で指導者研修会があったのですが、課題のひとつが、この臥法でした。人間としての「型」を学んでいく上で大切な稽古 ですし、自分自身のまとまりをつけていく上で有効な稽古法でもあります。

実 験的に個人教授も津田邸をお借りしてはじめています。これは、一対一で行う「内観の稽古」という位置づけです。いつも稽古のなかでお話ししている「同調」 の感覚を体験するために(経済的に余裕のある方は)一度体験してみてください。現在、一月に一、二名しか受け付けられませんが、関心のある方は角南までお 知らせください。原則、稽古会のある日の午前中にやっています。

白 山稽古会に参加されている方には、一度、私の師匠である野口裕之先生の公開講話に参加されることをお薦めします。公開講話は、4,8,12月をのぞく毎 月、東京と京都で開催されています。京都での公開講話の時間は14時〜18時ですから、ちょっと無理すれば松任・金沢から日帰りで参加することも可能だと 思います。

・本部稽古場
 
10月16日(土)、11月6日(土)
       17時〜21時

  世田谷区玉川2−9−15
京都研修会館
  9月28日(火)、10月28日(木)、11月28日(日)    14時〜18時
京都市右京区宇多野福王子6

会費はいずれも3150円 
東京開催分の会費は事前振込が必要です。

最後に、角南の連絡先を記しておきますので、なにかご質問相談等あれば、遠慮なくご連絡ください。

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白山稽古会だより
2010/10/30

稽古場という場所

 身 体教育研究所の活動の拠点を私たちは「稽古場」と呼んでいます。全国に約30カ所くらいあります。整体協会の会報である『月刊全生』の巻末に年4回掲載さ れていますからご覧になった方もいると思います。規模は大小さまざまで、また、運営のスタイルもそれぞれ異なっています。しかし、基本的に「集団稽古」と 「個別稽古」が組み込まれているところは共通しています。

 私が担当する大井町稽古場を例にどんな風に稽古場が運営されているか説明してみましょう。大井町稽古場は私と同じ技術研究員である松井さんと共同で担当しています。一稽古場、一担当者という形が大半ですので、この共通担当というのは大井町稽古場の特長といえるでしょう。

 稽古は週3日が集団稽古、週 2日が個別稽古という割合です。大井町稽古場の場合3ヶ月1クールの登録制です。火曜コース、金曜コース、日曜コース、夜間コースと4つのコースがありま す。稽古場の場合、1コマ2時間を一つの単位としているのですが、それぞれ週2コマということになります。一週間分の稽古日程を書き出すとこんな感じで す。

 ですから、一期10週として、一つのコースを三ヶ月続ければ20コマ40時間の稽古ができるということです。複数のコースを掛け持ちする人もいますから、ほんとに集注すれば三ヶ月で総稽古時間100時間なんてことも可能なわけです。

 これら定例の稽古に加え、課 外稽古もいくつかあります。例えばお茶。そして、自主稽古の枠の中で、「句会」というのもあります。この句会というのは、私が担当している日曜日の筆動法 の稽古のテキストとして俳句を沢山書いてきたことから派生してきたもので、並行して連句の会も進行中です。整体と俳句?といぶかられる節もあるかもしれま せんが、整体の、というか晴哉先生の技を日本文化の文脈でとらえるというのが身体教育研究所で行われてきた研究の成果でもあるわけで、整体と俳句はまった く同じ土俵にあります。これは、例えば、どうして私たちが稽古着という和風の着物をきるのかというところにもつながっていきます。

 稽古会の参加者は老若男女幅が広いです。大井町稽古場の場合、20代から70代まで、約30人の人たちが稽古しています。若者の割合が比較的高いのが大井町稽古場のもうひとつの特徴です。個人教授を含めれば、大井町稽古場の年齢層はもっと広がります。一歳の赤ちゃんから99歳のお爺さんまで!、ほぼ一世紀をカバーすることになります。個人教授は一対一の内観の稽古です。この個人教授でなにを行っているかについては、稿を改めて書いてみるつもりです。

 白山稽古会に出席されている方はいつでも大井町稽古場の稽古に参加可能です。東京にいらっしゃる機会があれば、是非、参加してください。

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